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感謝の歌(第一回)

2月11日と翌12日、東京のEGMスタジオで 感謝の歌 と メイフィールド を録り終えた。やったー!! 今は充実感と、その裏腹の虚脱感と、これを多くの人に感じてもらえますようにという祈りの念でいっぱいだ。

今回は 感謝の歌 のことを書こうと思う。一回では書ききれないだろうが。

この歌を書いたのは確か、2003年の12月初め頃だったと思う。同年の秋に妻と結婚して暮らし始めてからほぼ1ヶ月、ささいなことで初めての夫婦喧嘩をした翌日に、妻への感謝と懺悔の想いを、いかにも新婚さんのロマンチシズムを込めて書いた。この曲をギタリスト&アレンジャーの星川 薫さんとデモ録りした2004年初めの冬の頃には、これをサザン・ソウル好きな僕の好みと僕ら夫婦の庶民的な生活風景が丸出しの、ただの個人的なバラードくらいにしか思っていなかった。もちろん大のお気に入りだったけど。

そして当時は、ビクターから2004年の秋頃にはこの曲を含めたミニ・アルバムを発表できる感じで話が進んでいたので、僕はその頃には 感謝の歌 はアルバム中の単なる1曲として割と控えめに考えていた。その当時の音楽業界というか音楽マーケットの中では、「今時、こういう洒落っ気のまるで無い「どソウル・バラード」を新作アルバムの目玉として出しても売れるわけないよ。何かの時流に乗ったキャッチー・ソングの陰に隠して、そ知らぬ顔で出すしかないだろうな。この曲は。」…って感じで、当の僕自身が思っていたくらいだったから。

この曲が、僕個人と僕の家族やバンド・スタッフやファン&サポーターたちの間で、どんどん大きくて熱い意義を持つようになり「どうしてもこの曲を多くの人々に聴いて欲しいんだ!この曲を世に出せないうちは死んでも死に切れない。」と僕がこの曲に自分のソウル・シンガーとしての存在意義を懸けるようになっていき、僕の周りのみんながそれを後押しすべく一致団結してくれるようになっていったのは、その後の3年間の話だ。その間にORITOが置かれた逆境も、この曲の存在を大きく深くしていった要因だと思う。

今回の書きこみは、これで時間切れ。やっぱ 感謝の歌 については連載になりそうだな、こりゃ。