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2002年から2006年春までのソウル・シンガーORITOの歩み

僕、ソウル・シンガーORITOは2002年春のシングル Finga Play  の発表から2006年春現在まで、気がつけばもう4年間もORITO名義での自作シングル・アルバムを発表していません。このことだけを狭い視点で短絡的にとらえれば、僕はこの4年間にアーティストとしての活動を休止していたように思う人も、あるいは居ることでしょう。

だが、それは間違いです。

95年のデビュー以降、僕にとってこの4年間ほど、独力で多

岐にわたる音楽活動を展開し、アーティストの音楽性やパフォーマーとしての力量が飛躍的に変革し、さらに私生活でも結婚と娘の誕生から育まれた人間性の成長という、まさに公私共に充実した歳月はなかったからです。むしろ僕のように、4年間も新作を発表していないし特定の音楽事務所に所属していないのにもかかわらず、日本のソウル/R&B/ヒップ・ホップを心から愛するリスナー、メディア、ミュージシャン、業界関係者等からの、評価が低下もせず忘れ去られもせず今後の動向にさらなる期待と支持が寄せられるシンガーは、稀有なのではないかと密かに自負もしています。

そしていよいよ今、この4年間の音楽活動と生活で培われたORITOの新次元の楽曲・歌声・在り方を、新作の発表を発端として今の世の中にその真価を問うていきたいのです。

以下に僕のここ4年間の主な活動と、新作へ寄せる思いを書き記します。

ここ4年のORITOの音楽活動

1.バンド活動

自らのバンドORITO & The Wild Dandelionを結成し、都内や横浜などを拠点としてライヴ活動。東北地方にもツアーに。バンド・メンバーは全員プロで、各人がギターマガジンやドラムマガジンなどのプレイヤー雑誌に写真や記事を載せているハイ・レベル。このバンドは本物です。演奏曲目はORITO新作用のデモ曲を中心に、新旧のソウル・R&Bのカヴァーをこなす。

2.地方在住のノンプロ・ミュージシャンとのローカル・ライヴ活動

ORITOのCDプロモーションや東京からプロフェッショナル・バンドを率いてはとても行けないような、日本各地の中小規模の市町村に在住するブルース・ソウル・ゴスペル等のノンプロ・ミュージシャンとのローカルな手作り共演ライヴ。プロであるORITOが単身で地方の町に行き、地元のノンプロ・ミュージシャンをバックに歌い、ライヴの企画・運営は地元有志がやるという心意気の美しさと、プロによるソウル・ライヴがめったに見られないという地方市町村の事情とあいまって、地元メディアもローカルFM番組などでこれを告知したり、ライヴ会場もライヴハウス、市民ホール、文化財指定の古民家など多様で、ライヴの盛り上がりも地方色豊かで心温まるものばかり。このライヴで初めてORITOを知った・見たという地方の人々は多数いる。代表例は香川の高松市や岐阜の高山市。

3.新人R&Bシンガーの育成

近年の日本の若いR&Bシンガーは、よほど幸運な環境・・・例えば強大な音楽事務所に所属、親の七光り、人気TV番組の企画など・・・に身をおかないとデビューすることもデビュー後の生き残りも難しくなってきている。この状況を危惧したORITOは、才能や情熱を持ちながら、上述の環境下に身を置いてない若きR&Bシンガーの卵たちに、自分の経験から得たノウハウやスキルや心得などを教えて育成していくことも2003年から開始。具体的には、全国版の音楽雑誌BMRで1年以上(2004年4月まで)にわたるR&Bヴォーカル・パフォーマンスの技術解説を主目的としたエッセイ“随想PLAYを連載し好評を得る。また、デビュー前の若き才能あるシンガーをORITOのバンドにコーラスおよびリードヴォーカルとして招き入れ、ライヴ経験を積ませレコーディングのヴォーカル・コーチなどを務めながら、彼らの技術面や精神面を育成することも行っている。それにより育成された第一弾が大阪のDST-e.n.t からデビューした男性シンガーJAY’ED(ジェイド)。彼はこれまでの日本に無かったタイプの本格派R&Bシンガーとして、メジャー・レーベルからも注目を集め始めている。

4.ヒップ・ホップ/クラブ・シーンとの繋がり

1999年頃からの3,4年間は、クラブ・シーンでの展開を活動の中心に置いていたORITOだが、2003年初頭には自らクラブ・シーンから撤退していった。ORITO本来のフィールドであるソウル・ミュージックと、そのルーツであるゴスペルに本格的に専念していくために。さりながら、そのことはかえって日本の本物志向のヒップ・ホップのDJやラッパーやトラック・メイカーからの賛同と支持を得たようだ。なかでも、名古屋のDJ刃頭や大阪のラッパーRYW、若手トラック・メイカーのBLは、彼らの楽曲の中にいかにもORITO向けのソウルフルなトラックを思い入れたっぷりに用意し、ORITOを客演させている。ORITO自身がクラブ・シーンでの活動をほとんどしなくなった後でも、そういうORITO客演曲がリリースされ続けたので、現在でもORITOはコアなクラブ系リスナー・プレイヤーからの人気が消えない。その証拠に、クラブ・シーン向けとは言い難い楽曲ばかりのORITOの今回の新作アルバムの、制作発表への協力・参加を買って出てきてくれるのは、DJ刃頭DST-e.n.tの諸兄といったヒップ・ホップ/クラブ・シーン畑の人々である。心から感謝したい。そして漸く2006年早春から、ORITOはクラブ・イベントへの出演を再開した。

5.ファンクとの繋がりから なぜかNHK-FMへ繋がる

東京のファンク・バンドのフリー・ファンクリーダー:桜谷 俊文)は、今や日本全国の若手ファンク・バンドの求心的存在になりつつある。彼らが中心となりP-Vineレコードから和製ファンク・バンドのコンピレーション・アルバムをリリースしたり、もう10年間にもわたって毎年様々なファンク・バンドを集めてライヴ・イべント(野外ライヴやトーク・セッションを含む)を精力的に行ってきている。ORITOはこのイベント(2003年秋)に特別ゲストとして参加したことから彼らと懇意になり、デモ曲を作り、幸運にも彼らをバックに2004年から2年連続で全国放送のNHK-FMの音楽番組 ザ・ソウル・ミュージック ライヴスペシャル に出演し、リスナーからも共演者からも好評を得ることが出来た。このライヴ特番に共に出演したアーティストは、初年度はブラザー・トム、上田正樹、グッチ祐三、2年目はゴスペラーズといった顔ぶれ。

6.一般的認知度の高いシンガーとの繋がり

上述のNHK-FMの番組への出演での収穫は、この番組で、新作用のデモ曲 “感謝の歌”、“メイフィールド”、“鮑の艶話”を歌ったORITOのパフォーマンスと楽曲を、共演者として観ていたブラザー・トムさん、ゴスペラーズの村上てつや君が、絶賛してくれたこと。彼らとは、たまに電話やメールを交換する関係であり、ブラザー・トムさんは、彼のナヴィゲートするラジオ番組でORITOの曲を放送してくれた。ゴスペラーズの村上くんとは都内の小さなソウル・バーで一緒に歌った。彼らのような一般的認知度の高いアーティストから、ORITO=リアル・ソウル・シンガーとして好意的に認知されるような状況は、これまでのORITOのキャリアには無かったこと。以前のORITOは、こういう芸能人的なアーティストと繋がりを持つことを、TV芸能界への反骨心から意識的に避ける性癖があった。だが、現在のORITOには、そういう閉鎖的なマインドはない。彼らとの、この関係を維持してゆけば、ORITOの新作が発売されたあかつきには、彼らから何らかの好意的な応援が得られることだろう。

以上のような、音楽ジャンルの違いや、プロとアマ、その他もろもろの垣根を飛び越えた音楽活動やネットワーク作りを、この4年間、僕ORITOは自然体でやってきたのです。